AIに「パクられる」より怖いのは、「選ばれなくなる」ことだった

問い

自分が撮った写真、書いた文章、作ったデザイン。それがいつのまにかAIの学習材料にされとったら、正直穏やかではいられんはずよ。「パクられた」という言葉が真っ先に浮かぶ人も多いんじゃないかね。ただ最近、それとは違う考えが頭に浮かぶようになった。本当に怖いのは、勝手に学習されることそのものより、その先にある何かなんじゃないかって。

現場

今週、Is it legal to train AI models on copyrighted books? It’s complicated というニュースが出た。多くの作家が、自分の著作物がAIの学習に使われとることを知らんまま、それが当たり前になっていた、という話やっさ。タイトルの「複雑なんだ」という一言が、今のクリエイターの状況をそのまま表しとる。

デザインの仕事を長くやってきたオジイからすると、この話はひとごとじゃないと思うわけよ。長年、クライアントに渡してきたのは、いつも「結果」のファイルだけで、そこに至った判断——なぜこの形にしたか、他のどんな案を捨てたか——は、ファイルの中には一切残らん。

つまり、世に出回っている「作品」というのは、その人が持っとる源(みなもと)の、ほんの痕跡でしかない。AIがそれを大量に学習しても、出てくるのは表面のスタイルであって、その奥にある判断そのものは、そもそも学習データに入っていない。だから、どれだけ学習が進んでも「本人ぽい」止まりで、「本人」そのものにはならんのだろうと思う。

補助線

実際、学習させる側への規制は、むしろゆるくなる方向に向かっとるように見える。日本の著作権法には、AIの学習のような情報解析目的での利用を原則認める規定(30条の4)があるし、アメリカでも2025年に、AIの学習をフェアユース(公正な利用)と認めた判決が出た。学習そのものは自由にやっていい、という流れが強まっとる方向にあるはずよー(そう思う)。

じゃあ何が問題になるかというと、争点は「学習していいかどうか」じゃなく、「出てきたもの」の方に移っとる。具体的な表現をそのまま再現してしまうこと。誰かの人格やキャラクター、声や見た目をなぞること。そして、市場でその人の代わりになってしまうこと。規制の目が向かっとるのは、だいたいこの3つだけなんだわけ。

その3つの外側にあるのが「作風」「エッセンス」「ぽさ」やっさ。これは著作権では守られん。「リスペクトしました」と言えば、作風レベルの模倣は通ってしまう。これは法律の穴が偶然空いとるわけじゃなく、文化を凍らせないための、最初からそう設計された仕組みなんだわけよ。誰かの作風を守りすぎたら、次の世代がその作風の上に何かを積むこともできんくなる。

ここで一つ、はっきりさせておきたいことがあるさ。「ぽいものしか出てこない」という話は、実は誰にでも同じ意味を持つわけじゃないわけよ。

例えば、その人にしか紡げん作品を持つ作り手がおったとする。AIがどれだけ学習しても、出てくるのは「ぽい」もの止まりで、本人そのものにはならん。でもこの人にとって、それは脅威にならん。ファンが欲しいのは「ぽいもの」じゃなく本人そのものだから、ぽいものがいくら出回っても、本人の値打ちは減らんわけよ。

ひとりで制作を請け負っとる人は、ここが逆になる。発注者が欲しいのは「本人」じゃなく「ちゃんとした仕上がり」であることが多い。だから「まあまあ良いぽいもの」で発注者が満足してしまったら、それで話は終わってしまうわけさ。代わりが効きやすい人ほど、この「ぽい」に削られていく立場に立たされてる。

ここまで考えると、ほんらいの恐れるべきポイントがどこにあるんだろうって。「自分の納品ファイルが勝手に学習へ使われたかもしれん」ということより、「まあまあ良いぽいものが無料で手に入る世界で、それでも自分が選ばれ続けられるか」の方が、でーじ(すごく)切実な問題やっさ。選ばれ続けるというのは、自分がその仕事の「源」でい続けられる、発注者との関係を保てるかということでもあるわけ。そしてその関係は、たいてい見積もりや契約という、始まりの会話から形が決まっていくわけよ。
そうなると、最低限ちゃんと仕事をしてくれる信頼の置ける人っていう「営業力」や「実績」の方がもっと大事にされる時代になるって話やっさ。

持ち帰り

デザインや写真や文章をひとりで請け負ってる人に向けた話。「学習させないでほしい」とAIやクローラーに直接頼んでも、一切届かんの。でも、目の前の発注者になら届けられる。その始まりの会話に、一文だけ差し込んでみてほしい。

ステップ1: 自分のスタンスを一文にする
「AI学習・二次利用については案件ごとに事前にご相談ください」なのか、「別途料金が必要です」なのか。今どう思ってるかを、自分の言葉で伝えてみる。けど、これに正解はないのだけど。

ステップ2: 見積もりか契約書の、一番最初のやりとりに入れる
納品した後や、トラブルになってから言うのでは遅い。関係が始まる最初のタイミングで、さらっと伝えておくこと。

ステップ3: 相手の反応を見る
黙って受け取られたら、それで伝わっとる。「どういう意味?」と聞かれたら、そこから対話が始まるわけさ。拒否されたら、それはそれで、その発注者が今回の問題に対して、どういうスタンスかがわかる情報になるわけよ。

これで学習そのものを止められるわけじゃない。法律も、今のところはっきりした答えを出してくれん。でも「AI学習は関係の最初に交渉するもの」という認識を発注者との間に作っておくことは、「まあまあ良いぽいもの」にしれっと取って代わられない立場を、自分で確保していくやっけー(厄介)な作業の、最初の一歩ではあるはずやっさ。

自分が長年渡してきた「結果のファイル」が今も誰かのサーバーのどこかにあるかもしれん、とふと思うわけよ。怖いかというと、正直それよりも「その判断、あの時なんであの形にしたんだっけ」と自分でも思い出せんものが沢山あるのが、ちょっと情けないわけさ。源(みなもと)を一番忘れてるのは、もしかして本人かもしれんね。
けど、色んな経験を経たから新しいものを作ることが出来るっていうのも、次の判断の軸にはなってるんじゃないかとも思うのよね〜。
てことで、また来週もよろしくね〜。